新しい人生のはじまり-GIDクリニック1回目
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わたしの詳しいプロフィールはまた後日ゆっくり書くとして、6月26日はわたしにとって新しい人生のはじまりとなりました。備忘録がてら記録しようと思います。
GIDクリニック1回目
10時ごろ 某病院に到着、新患受付。大きい病院なので、紹介状がないと初診料が高くなる説明を受ける。通称で呼ばなくていいか?と受付段階で聞かれたけど、特に必要無い旨回答。
10時半ごろ 精神科へ移動。前もって担当医とは別の医師による予診。これまでの経歴や性格のこと、GIDについてのことなどをお話しする。だいたい1時間程度。
予診した医師と担当医との間で内容の報告があるため、お昼を食べてくるように指示される。
12時半ごろ 担当医と面談。予診してくださった医師も同席。とても和やかな雰囲気で、今後どうしていきたいか話す。わたしの場合は女性から男性への治療を求めているので、その場合の治療の流れなど。
質問や不安に感じていることなども、ゆっくり書いて丁寧に説明してくださり、とてもありがたかった。次回の予約をして終了。
次は心理カウンセリング。
精神科の先生ということもあるのかもしれないけれど、医師の方たちがみなさん優しくて、とても安心できた。ここなら全てを相談しようと思えたことが、なによりありがたい。
小さな一歩だけど、やっとスタートラインに立てたような気がして、なぜだかホッとした。
出る杭は打たれるが出過ぎた杭は打たれない、そして抜かれる
最近感じることが「出る杭は打たれる」ということと、「出過ぎた杭は打たれない」ということだ。そして、決まってその杭は「抜かれる」。
もし、周囲にいい意味で出過ぎた杭があるとして、それが気に入らないのなら、どうしてこの出過ぎた杭が気に入らないのかを一度考えるべきだ。
出過ぎた杭を抜くことが、本当に自分のためになるのか、組織のためになるのか。
つまらない自分のプライドを守るため、組織を犠牲にするような行動をとっていないか、発言をしていないか。
出過ぎた杭を悪として、自分を正当化していないか。
そして、自分が出過ぎた杭の代わりになれるほど、力があるのか。
一度抜かれた杭を、また同じように戻すことは難しい。
杭の高さはちがっても、それぞれが繋がりをもって同じものを支えている。
組織ってそういうものだと思うのだけれど。
どうして、多くの組織人がそういう考え方ができないのか、残念でならない。
クリスマスが今年もやってくる
くーりすますがことしもやってくる♪
たのしいこと、うれしいこと
けしさーるよぉにー♪
何も考えず適当に歌ってみたら、とても寂しい歌になった。
隣に座っていた知り合いが「えっ」といったから、
何かが変だと気が付いたけど、実際はどんな歌詞だったっけ?
クリスマスは明るくてとても好きです!
親元を離れたら、今後一緒に過ごせる日数はどれくらいかを計算すべき
実家を出て一人暮らしを始めてから、17年ほどになる。
今の家から実家までは、ドアtoドアで4時間の距離だ。
1人暮らしを始めたころは、まだ写メールなんてものが出始める前だったし、そもそも親が携帯電話を持っていなかったら、それこそ連絡をとることがなかった。
「生きてる?」
と母から電話が月1で来るような感じだったし、それが自立だと勘違いしていたような気がする。便りがないのは・・なんていう都合のいい言葉で、わたしも親も納得していた。
今現在は両親がスマホを使いこなしているので、マメにLINEでスタンプが送られてくるし、画像のやりとりもしているから、毎日元気そうなことも知っている。
けれど、これから両親と過ごす日数はどれくらいあるんだろう?と計算すると、思いのほか少ないことにびっくりした。
私の場合、両親が平均寿命まで今のままの元気でいてくれるとしても、あと20年ほど。私が実家に帰るのは1年間で長くて5日。
日数にして、 100日 になる。
たった3か月。
親元を離れすぎるというのも、よくないもんだ。
できる限り実家に帰ろう。
どんなに電話やメール、LINEで話をしていても、埋められないものがあるんだよなぁ。
おなら を語る
わたしの黒歴史。
思い出してみるといろいろなことがあるのだけれど、すぐに思いつく黒歴史が一つ。
中1の運動会の閉会式。
どうしても我慢しきれず、無音のおならをしようと頑張ったものの、大きな音のおならが出たこと。
もともとおならがよく出るタイプだ。
プップッとリズミカルに出せる。
バッという爆発タイプも得意。ただしこれには少々痛みを伴う時がある。
ペギッという変形タイプもできるし、ファスーという無音に近いものも。
ビィと鳴ったときは少しおなかが心配になる。
そんなわたしだから、無音で出すことにはかなり自信があった。
でも、人がたくさんいるところだし、ずっと外で疲れ切っていたし、一瞬の油断があったといえばウソじゃないと思う。
音が出た!と認識した時にはもう遅い。
そりゃそうだ、周りにも聞こえているのだから。
「・・ちょ、サシミ・・」
と後ろにすわっていたJちゃんがつぶやいたことがいまも忘れられない。
そんな思春期の黒歴史でした。