出る杭は打たれるが出過ぎた杭は打たれない、そして抜かれる
最近感じることが「出る杭は打たれる」ということと、「出過ぎた杭は打たれない」ということだ。そして、決まってその杭は「抜かれる」。
もし、周囲にいい意味で出過ぎた杭があるとして、それが気に入らないのなら、どうしてこの出過ぎた杭が気に入らないのかを一度考えるべきだ。
出過ぎた杭を抜くことが、本当に自分のためになるのか、組織のためになるのか。
つまらない自分のプライドを守るため、組織を犠牲にするような行動をとっていないか、発言をしていないか。
出過ぎた杭を悪として、自分を正当化していないか。
そして、自分が出過ぎた杭の代わりになれるほど、力があるのか。
一度抜かれた杭を、また同じように戻すことは難しい。
杭の高さはちがっても、それぞれが繋がりをもって同じものを支えている。
組織ってそういうものだと思うのだけれど。
どうして、多くの組織人がそういう考え方ができないのか、残念でならない。